2010-01-01から1年間の記事一覧
こんにちは、木村耕一です。 もうすぐお盆です。 新年を祝ってから、アッという間に、月日が流れていったように感じませんか。 こんな調子で、残りの人生も過ぎていくとしたら…… 『徒然草』には、「人生の目的とは何か」「なぜ生きるのか」と問いかける衝撃…
こんにちは、木村耕一です。 仕事を進めるにあたり、大切なのは、ミスをしないこと、信頼を得ることではないでしょうか。 どうすればミスを防げるのか、『徒然草』は、ズバリ、次のように分析しています。 ミスをなくそうと思うならば、常に誠意をもって事に…
こんにちは、木村耕一です。 『徒然草』というと、気楽に書いたエッセー集というイメージがあります。 しかし、なかなかどうして、鋭い刃物のように、人間の本質を切り開いた文章にあふれています。 たとえば…… 根拠のないうわさ話や人の批評は、自分のため…
こんにちは、木村耕一です。 夏には、故郷へ帰り、友人、知人と久しぶりに会う人が多いのではないでしょうか。 吉田兼好の『徒然草』には、そんな時の注意が書かれています。 久しぶりに会った人が、自分の身の上に起こったことを一方的に話し続けるのは、嫌…
こんにちは、木村耕一です。 暑中見舞いの時期ですね。 印刷された葉書と、直筆の葉書と、 もらうとしたら、どちらがうれしいですか。 『徒然草』に、吉田兼好は、次のように書いています。 たとえ字が下手な人であっても、 手紙は自分で書いてこそ心が伝わ…
こんにちは、木村耕一です。 「幸せになってもらいたい」 どんな時も、親が子供に望むことは、これ一つではないでしょうか。 2500年前のイソップ物語に、次のようなエピソードがあります。 広いブドウ畑を持つ農家があった。 この家の主人は、病で寝込んでい…
こんにちは、木村耕一です。 イギリスの大科学者、マイケル・ファラデーに、次のようなエピソードがあります。 ある日、研究室に学生を集め、 「この試験管の中に、少量の液体が入っている。何だと思う?」 と尋ねたのです。 学生は、ざわつくばかりで、答え…
こんにちは、木村耕一です。 親は、子供の誕生日になると、ケーキを買ってきたりして祝います。 人間として、この世に、生まれることができたのですから、これほどめでたい日はありません。 しかし、親にとっては、どういう日だったのでしょうか。 水戸黄門…
こんにちは、木村耕一です。 「親」という漢字を分解すると、 「木」の上に 「立」って 「見」る、となります。 例えば、子供の帰りが遅いと、親は非常に心配になります。 「学校で何かあったのか?」 「まさか、交通事故に遭ったのでは?」 時間がたつにつれ…
こんにちは、木村耕一です。 「本の書き方を教えてください」 と言って、84歳の女性の方から、電話がかかってきたことがあります。 現在、病気で入院中で、外出もできない状態だそうです。 そんな中、なぜ、執筆を? 「私には、男の子が4人います。 だけど、…
こんにちは、木村耕一です。 たまに帰省して、両親の姿を見ると、 「ああ、いつのまにか、こんなに年老いて……」 と、痛切に感じるようになりました。 そんな時は、孔子の「風樹の嘆」のエピソードが頭をよぎります。 今から約2500年前のことである。 孔子が…
こんにちは、木村耕一です。 巨匠・黒澤明の『生きる』は、悲しい映画です。 幼い子供は、親に甘えます。悲しみをぶつけます。 親は、すべて受け入れ、一生懸命に育てます。 計り知れない恩を受けて成長したはずなのに、子供は、なぜ、親のことを忘れてしま…
こんにちは、木村耕一です。 健康読本の超ロングセラーといえば、貝原益軒の『養生訓』があります。 江戸時代に発売され、300年ほどたった今日でも人気があります。 幼少から体が弱かった益軒は、中国の漢方医学書や様々な健康法を精力的に学んでいきました…
こんにちは、木村耕一です。 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」に登場する西郷隆盛は、これまでと、ちょっとイメージが違うように思います。 西郷というと、もっと誠実で、木訥で、器量の大きな男では……。 これは、司馬遼太郎を読んで作り上げた像なのかもしれませ…
こんにちは、木村耕一です。 夏目漱石は、文学を志す若者の面倒を、よくみていました。 しかし、多くの弟子たちが頻繁に訪問してくると、自分が原稿を書く時間が少なくなってしまいます。 それでも面会日を毎週木曜日に決めて、深夜まで談笑することが多かっ…
こんにちは、木村耕一です。 昭和7年のロサンゼルス・オリンピックは、日本の水泳チームが大活躍した大会でした。 当時の男子競泳は6種目ありましたが、なんと、このうち5種目の金メダルを獲得したのです。 中でも注目を集めたのが1500メートル自由形で優勝…
こんにちは、木村耕一です。 ある夫婦が、仙台発の飛行機で大阪空港へ向かっていました。 東北を巡った旅の帰りのようです。 飛行機は、やがて富士山の上空にさしかかりました。 窓からは、雄大な景色が見えてきます。 白い雲海から、頭を出し、どっしりそび…
こんにちは、木村耕一です。 水戸城下でのこと。 山すそで、1人の老人が、松の苗木を植えていました。 そこへ3人の武士が通りかかったのです。 曲がった腰で、ゆっくりと土を掘り、1本、1本、丁寧に植えている姿を見て、武士は、ふと、疑問を感じました。 「…
こんにちは、木村耕一です。 三菱の創始者である岩崎弥太郎は、ムダ遣いを、厳しく戒める人でした。 汽船が難破し、莫大な損害を被った時のことです。 船長は辞職を覚悟し、岩崎社長に、事故の顛末を報告しに行きました。 その時、黙って聞いていた岩崎は、…
こんにちは、木村耕一です。 野球賭博の問題で、大相撲が揺れています。 「反省が足りない」、としてNHKの中継も取りやめ。 過ちは、誰にでもあります。 問題は、反省して、どう進むかです。 不祥事を起こした相撲界の親方や力士に、読んでもらいたいエピソ…
こんにちは、木村耕一です。 昭和20年、東京は戦争で焼け野原になりました。 戦前から、東京の中心といえば銀座4丁目。 ここに、復興のシンボルとして、新たな店を出そうと計画した市村清は、土地の買収に苦労していました。 それは、お金では解決しない問題…
こんにちは、木村耕一です。 米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)は、 「年老いた者には、気を遣い、力を尽くして大切に接するべきである」 と教えていました。 自らも、次のように実践していました。 安永6年、鷹山は、藩士の家族の中で、90歳以上の老人…
こんにちは、木村耕一です。 「親の恩」を説いた江戸時代の大名といえば、米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)が有名です。 次のようなエピソードが残っています。 「素晴らしい松の盆栽が、格安で売り出されております」 医者の易庵が、米沢城下で得た耳…
こんにちは、木村耕一です。 仙台藩の基礎を築いた伊達政宗は、「引っ越しの心得」を、次のように教えています。 「国替え、屋敷替えなどの時は、家の中を、すみずみまで掃除して、塵さえも残さぬようにしてから、立ち去るべきである。 また、破損した所は修…
こんにちは、木村耕一です。 「居眠り」が、人の命を救った記録が、『名将言行録』にあります。 しかも、徳川幕府2代将軍・秀忠の、タヌキ寝入りでした。 ある日、将軍・秀忠は、家臣の野間を呼んだ。 野間は不器用で目立たない男だが、とても律儀で、黙々と…
こんにちは、木村耕一です。 他人から、いわれのない侮辱を受ける時があります。 そんな時、カッと怒ってやり返しますか? 淡々と流しますか……。 どちらがいいのかを考えさせるエピソードがあります。 韓信は、中国の貧しい家に生まれた青年であった。 なかな…
こんにちは、木村耕一です。 人間、だれでも、失敗することがあります。 大切なのは、その時の対処です。 ごまかすか、正直に謝るかで、生涯が大きく変わります。 江戸時代、備前岡山で、農業政策や教育の充実など、多くの業績を残した津田永忠の、若き日の…
こんにちは、木村耕一です。 「人間の命は地球より重い」といわれます。 それなのに、なぜ、自殺が減らないのでしょうか。 ある時、お釈迦さまが、阿難という弟子に、 「そなたは人間に生まれたことを、どのように思っているか」 と尋ねられました。 「大変…
こんにちは、木村耕一です。 ミスを犯したり、人に迷惑をかけたら、まず、何をすべきでしょうか。 20歳過ぎのリンカーンは、失敗しても信用を得た、というエピソードを紹介しましょう。 「しまった!」 ある商店で働いていたリンカーンが叫んだ。 1日の売上金…
こんにちは、木村耕一です。 人間関係が、ぎくしゃくすることが、ありませんか。 しかし、ちょっとした配慮や、ほんの一言があれば、うまくいったケースが多いのではないでしょうか。 ある日、東京ディズニーランドに若い夫婦が訪れ、レストランで「お子様ラ…