2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

イソップの教訓「根気よく働けば、幸せはついてくる」

こんにちは、木村耕一です。 「幸せになってもらいたい」 どんな時も、親が子供に望むことは、これ一つではないでしょうか。 2500年前のイソップ物語に、次のようなエピソードがあります。 広いブドウ畑を持つ農家があった。 この家の主人は、病で寝込んでい…

ファラデー「母親の涙には、化学では分析できない深い愛情がある」

こんにちは、木村耕一です。 イギリスの大科学者、マイケル・ファラデーに、次のようなエピソードがあります。 ある日、研究室に学生を集め、 「この試験管の中に、少量の液体が入っている。何だと思う?」 と尋ねたのです。 学生は、ざわつくばかりで、答え…

水戸黄門「誕生日は、最も粗末な食事でいい」

こんにちは、木村耕一です。 親は、子供の誕生日になると、ケーキを買ってきたりして祝います。 人間として、この世に、生まれることができたのですから、これほどめでたい日はありません。 しかし、親にとっては、どういう日だったのでしょうか。 水戸黄門…

「親」という字は、「木の上に立って見る」と書く

こんにちは、木村耕一です。 「親」という漢字を分解すると、 「木」の上に 「立」って 「見」る、となります。 例えば、子供の帰りが遅いと、親は非常に心配になります。 「学校で何かあったのか?」 「まさか、交通事故に遭ったのでは?」 時間がたつにつれ…

親と子の断絶、このまま死んだら、悔しいじゃないですか……

こんにちは、木村耕一です。 「本の書き方を教えてください」 と言って、84歳の女性の方から、電話がかかってきたことがあります。 現在、病気で入院中で、外出もできない状態だそうです。 そんな中、なぜ、執筆を? 「私には、男の子が4人います。 だけど、…

孔子、風樹の嘆。「孝行のしたい時分に親はなし」

こんにちは、木村耕一です。 たまに帰省して、両親の姿を見ると、 「ああ、いつのまにか、こんなに年老いて……」 と、痛切に感じるようになりました。 そんな時は、孔子の「風樹の嘆」のエピソードが頭をよぎります。 今から約2500年前のことである。 孔子が…

黒澤明の映画『生きる』、親が末期ガンで苦しんでいるのに……

こんにちは、木村耕一です。 巨匠・黒澤明の『生きる』は、悲しい映画です。 幼い子供は、親に甘えます。悲しみをぶつけます。 親は、すべて受け入れ、一生懸命に育てます。 計り知れない恩を受けて成長したはずなのに、子供は、なぜ、親のことを忘れてしま…

貝原益軒、親孝行の「養生訓」。父母の健康にも、大きな影響

こんにちは、木村耕一です。 健康読本の超ロングセラーといえば、貝原益軒の『養生訓』があります。 江戸時代に発売され、300年ほどたった今日でも人気があります。 幼少から体が弱かった益軒は、中国の漢方医学書や様々な健康法を精力的に学んでいきました…

母を見て泣いた西郷隆盛「親不孝なことをしてしまった」

こんにちは、木村耕一です。 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」に登場する西郷隆盛は、これまでと、ちょっとイメージが違うように思います。 西郷というと、もっと誠実で、木訥で、器量の大きな男では……。 これは、司馬遼太郎を読んで作り上げた像なのかもしれませ…

夏目漱石、厳しい叱責と、無言の心遣い

こんにちは、木村耕一です。 夏目漱石は、文学を志す若者の面倒を、よくみていました。 しかし、多くの弟子たちが頻繁に訪問してくると、自分が原稿を書く時間が少なくなってしまいます。 それでも面会日を毎週木曜日に決めて、深夜まで談笑することが多かっ…

金メダルより重要な「人生の目的」、末弘教授の訓示

こんにちは、木村耕一です。 昭和7年のロサンゼルス・オリンピックは、日本の水泳チームが大活躍した大会でした。 当時の男子競泳は6種目ありましたが、なんと、このうち5種目の金メダルを獲得したのです。 中でも注目を集めたのが1500メートル自由形で優勝…

1杯のジュース、思いやりは、人を幸せにする

こんにちは、木村耕一です。 ある夫婦が、仙台発の飛行機で大阪空港へ向かっていました。 東北を巡った旅の帰りのようです。 飛行機は、やがて富士山の上空にさしかかりました。 窓からは、雄大な景色が見えてきます。 白い雲海から、頭を出し、どっしりそび…

徳川斉昭、目先のことより、50年、100年後の子孫のために

こんにちは、木村耕一です。 水戸城下でのこと。 山すそで、1人の老人が、松の苗木を植えていました。 そこへ3人の武士が通りかかったのです。 曲がった腰で、ゆっくりと土を掘り、1本、1本、丁寧に植えている姿を見て、武士は、ふと、疑問を感じました。 「…

三菱の創始者・岩崎弥太郎、ムダ遣いを戒める

こんにちは、木村耕一です。 三菱の創始者である岩崎弥太郎は、ムダ遣いを、厳しく戒める人でした。 汽船が難破し、莫大な損害を被った時のことです。 船長は辞職を覚悟し、岩崎社長に、事故の顛末を報告しに行きました。 その時、黙って聞いていた岩崎は、…

大相撲に贈る「過ちを反省し、飛躍のバネに変えた陸奥宗光」

こんにちは、木村耕一です。 野球賭博の問題で、大相撲が揺れています。 「反省が足りない」、としてNHKの中継も取りやめ。 過ちは、誰にでもあります。 問題は、反省して、どう進むかです。 不祥事を起こした相撲界の親方や力士に、読んでもらいたいエピソ…

思いやりは、お金に勝る信用。銀座、「三愛」開店秘話

こんにちは、木村耕一です。 昭和20年、東京は戦争で焼け野原になりました。 戦前から、東京の中心といえば銀座4丁目。 ここに、復興のシンボルとして、新たな店を出そうと計画した市村清は、土地の買収に苦労していました。 それは、お金では解決しない問題…

上杉鷹山、敬老の精神を教え、自ら実践

こんにちは、木村耕一です。 米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)は、 「年老いた者には、気を遣い、力を尽くして大切に接するべきである」 と教えていました。 自らも、次のように実践していました。 安永6年、鷹山は、藩士の家族の中で、90歳以上の老人…

上杉鷹山「父母の恩は、山よりも高く、海よりも深い」

こんにちは、木村耕一です。 「親の恩」を説いた江戸時代の大名といえば、米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)が有名です。 次のようなエピソードが残っています。 「素晴らしい松の盆栽が、格安で売り出されております」 医者の易庵が、米沢城下で得た耳…

伊達政宗、戦国大名の「引っ越しの心得」

こんにちは、木村耕一です。 仙台藩の基礎を築いた伊達政宗は、「引っ越しの心得」を、次のように教えています。 「国替え、屋敷替えなどの時は、家の中を、すみずみまで掃除して、塵さえも残さぬようにしてから、立ち去るべきである。 また、破損した所は修…

徳川秀忠の居眠り、人の失敗を笑わない優しさ

こんにちは、木村耕一です。 「居眠り」が、人の命を救った記録が、『名将言行録』にあります。 しかも、徳川幕府2代将軍・秀忠の、タヌキ寝入りでした。 ある日、将軍・秀忠は、家臣の野間を呼んだ。 野間は不器用で目立たない男だが、とても律儀で、黙々と…

大志を抱く者は、ささいな恥辱は甘受して進む

こんにちは、木村耕一です。 他人から、いわれのない侮辱を受ける時があります。 そんな時、カッと怒ってやり返しますか? 淡々と流しますか……。 どちらがいいのかを考えさせるエピソードがあります。 韓信は、中国の貧しい家に生まれた青年であった。 なかな…

失敗して大抜擢された津田永忠、ごまかさない、ウソをつかない

こんにちは、木村耕一です。 人間、だれでも、失敗することがあります。 大切なのは、その時の対処です。 ごまかすか、正直に謝るかで、生涯が大きく変わります。 江戸時代、備前岡山で、農業政策や教育の充実など、多くの業績を残した津田永忠の、若き日の…