こんにちは、木村耕一です。
たまに帰省して、両親の姿を見ると、
「ああ、いつのまにか、こんなに年老いて……」
と、痛切に感じるようになりました。
そんな時は、孔子の「風樹の嘆」のエピソードが頭をよぎります。
今から約2500年前のことである。
孔子が斉(せい)の国へ向かっていた時、前方から、大きな泣き声が聞こえてきた。
「大層悲しそうだが、どうも普通ではない」
と言って、馬車のスピードを上げさせた。
少し駆けた所で、号泣している男を発見した。
孔子は車から降りて、彼に尋ねた。
「あなたは、どなたですか」
「丘吾子(きゅうごし)という者です」
「葬式があったようにも見えませんが、なぜ、そんなに泣くのですか」
「私は、大変な過ちを犯したのです。晩年になって気がついて後悔しましたが、今さらどうにもなりません」
「どんな過ちか、聞かせていただけませんか」
「若いころから、私は、学問が好きで、諸国を巡っておりました。
ある日、学問の道にはキリがないので、これくらいで郷里へ帰ろうと思いました。年老いた父母のことが心配になってきたのです。
しかし、家に戻ってみると、両親は、すでに亡くなっておりました。
木が静かに立っていようと思っても風がやまないように、子供が親を養おうと思っても、親はその時まで待っていてはくれません。
過ぎ去って二度と帰ってこないのは、歳月です。
二度と会うことができないのは、親です」
ここまで言って、男は、水中へ身を投げて死んでしまった。
孔子は、弟子たちに、
「これは1人1人が教訓としなければならない大切なことだ。この、哀れな男と同じ過ちを犯さないように」
と言った。
「親不孝をしている」という負い目は、誰にでもあるだろう。
丘吾子(きゅうごし)の姿は、よほど強い衝撃を与えたようだ。
すぐに、13人の弟子が、
「父母のことが心配です。
万一のことがあっては、取り返しがつきませんので、本日限りで、おいとまを頂きたいと思います」
と願い出て、孔子の門に別れを告げ、郷里へ急いだという。
(『親のこころ』より)
ここから、父母が死んでしまい孝行できない嘆きを、
「風樹の嘆」
というようになりました。
日本でも、昔から、
「孝行の したい時分に おやはなし」
「石に布団は着せられず」
といわれています。
同じように嘆き、後悔しないように、心掛けていきたいと思います。
親のこころ
木村耕一編著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 288ページ
ISBN4-925253-11-5