金メダルより重要な「人生の目的」、末弘教授の訓示



こんにちは、木村耕一です。


昭和7年のロサンゼルス・オリンピックは、日本の水泳チームが大活躍した大会でした。
当時の男子競泳は6種目ありましたが、なんと、このうち5種目の金メダルを獲得したのです。


中でも注目を集めたのが1500メートル自由形で優勝した北村久寿雄(きたむら くすお)です。高知商業の3年生でした。


14歳の少年が世界の強豪を破ったというニュースは、各国の新聞が大々的に報道し、日本国内でも号外が配られるほどでした。
帰国して、熱烈な歓迎を受けた北村久寿雄の人生に、大きな影響を与えたのが、日本水泳連盟会長・末弘厳太郎(ひろすえ いずたろう)、東京大学法学部教授の言葉でした。


選手解散式に臨んだ末弘は、オリンピックで成し遂げた偉業を心から称え、選手の努力を労ったうえで、次のように訓示したのです。




「いつまでもいい気になって、勝利の甘酒に陶酔していては、知らず知らずのうちに、諸君は1人の人間としての一生を誤るのみならず、アマチュアスポーツマンとしての生命をも失うことになる。
私は、それが心配でならない。
諸君は、立派な仕事を成し遂げた。
しかし考えてごらんなさい。
たかが泳ぎです。
たかが世界の誰よりも、泳ぎが速いというだけのことです」





この瞬間、選手たちの目に、異様な光が閃いたのを、末弘は感じました。
それでも、厳然と話を続けました。




「むろん、世界の誰よりも、泳ぎが速いのは立派なことです。
平生の努力の賜物です。
しかし、諸君の人生全体から考えると、ほんの一部にすぎないではないか。
やがて年をとれば体力が落ちる。
いつまでも水泳選手の頂点に立ち続けることなど、できるはずがない。
そうなったら、もう誰も振り向いてはくれないのが現実です。
人生、いかに生きるべきか。
目的を、しっかりもたないと、取り返しのつかないことになるのです。
勝利の光栄に陶酔することなく、よき学生として、よき社会人として、オリンピック選手に恥じないように、勉学や仕事に努めてください。
そうしてこそ、諸君のアマチュアスポーツマンシップは永久に美しく保持されるのです」





祝賀ムード一色の中で、このように厳しく言い切るのは、なかなかできることではありません。
若き選手たちの将来を、心から案じていたからこそ出てきた言葉なのです。


この言葉に発奮した北村久寿雄は、旧制第三高等学校(今の京都大学)への進学を決意。水泳の練習をしながら勉学に励みました
ところが受験に失敗してしまいます。
並大抵の努力では突破できないと知らされた北村は、水泳をやめて再受験へ突き進みました。


「もう1シーズン続ければ世界記録更新も夢ではない」
と引退を惜しむ声にも、一切、耳をかさず、猛勉強を続け、見事、合格を果たしたのです。


その後、北村久寿雄は、人生の指針を示してくれた末弘厳太郎が教鞭をとる東京大学法学部へ進みます。
戦後は、労働省へ入り、国際労働機関日本代表部一等書記官として、再び国際舞台で活躍しました。