こんにちは、木村耕一です。
再び、中国の小学生の自殺に関して書きます。
「死んだら宿題が無くなる」と言って、10歳、11歳の女の子が、3人で手をつないで、2階建ての屋根から飛び降りました。
その場面を想像するだけで、悲しくなります。
「死んだら楽になる」なんて、本当でしょうか。
そんな保証は、どこにあるのでしょうか。
2600年前のインドでのこと。
次のようなエピソードが残されています。
ある時、釈迦が托鉢中、大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘が、しきりと袂へ石を入れているのを見つけた。
自殺の準備に違いない、と知った釈迦は、さっそく近寄り、優しくその事情を尋ねた。
相手が釈迦と分かった娘は、心を開いてこう打ち明けた。
「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、今は捨てられてしまいました。
世間の目は冷たく、お腹の子の将来などを考えますと、死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。どうかこのまま死なせてくださいませ」
娘は、よよと泣き崩れた。
その時、釈迦は、哀れに思い、こう諭している。
「愚かなそなたには、例えをもって教えよう。
ある所に、毎日、重荷を積んだ車を朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。つくづくその牛は思った。なぜオレは毎日、こんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめているものはいったい何なのかと考えた。
そうだ! この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、牛は車を壊すことを決意した。
ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、頑丈な車でなければまた壊されると、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。
それは壊した車の何十倍、何百倍の重さであった。
その車で重荷を同じように毎日引かされ、以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、深く後悔したが後の祭りであった。
牛が、ちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと思ったのと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まなければならないのだ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなんだよ」
(『こころの朝』より)
お釈迦さまは、実に、例え話がうまい方です。
「現在、苦しいからといって死を選んでも、決して楽にはなれない」と、仏教では教えられているのです。
こころの朝
木村耕一編著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 296ページ
ISBN4-925253-18-2
http://www.10000nen.com/?p=592
応援、よろしくお願いします。(ぺこり)