こんにちは、木村耕一です。
中国では、小学生3人が、「死んだら宿題が無くなる」と遺書に記し、屋根から飛び降りた事件が波紋をよんでいます。
「そんなことで自殺するなんて」
と思いがちですが、日本は大丈夫でしょうか。
日本の、ある小学校で、子供たちに、「死」のイメージを聞くと、
「死んだほうが、楽になれる」
「別の人間として、もう一度やり直せる」
と答える子供が多かったといいます。
しかも、「人間、死んだら生き返ると思うか」というの問いに、クラスの8割以上が、「生き返る」と答えているのです。
こんな安易な生命観を持っているから、ちょっとしたことで自殺したり、他人を傷つけたりする子供が増えているのではないでしょうか。
仏教では、命の尊さを、次のような「盲亀浮木の譬え(もうきふぼくのたとえ)」で教えられています。
ある時、釈迦が、阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねた。
「大変、喜んでおります」
と阿難が答えると、釈迦は、次のような話をしている。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。
丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太ん棒は、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」。
「絶対にないと言い切れるか」
「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、釈迦は教えている。
(『こころの朝』より)
「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
人間に生まれることは、それほど難しいことなのです。
めったにないことが起きたのだと知らされれば、1日1日を大切に使おうという気持ちがわきあがってきます。
皆が、同じ気持ちを持てば、自殺も、殺人も、戦争も、地球上からなくなるのではないでしょうか。
こころの朝
木村耕一編著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 296ページ
ISBN4-925253-18-2
http://www.10000nen.com/?p=592
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