イソップ物語「使わないお金なら石と同じ」金塊を盗まれた男

こんにちは、木村耕一です。


「お金が、多ければ多いほど、幸せになれるのでしょうか?」
愚問かもしれませんね……。


2500年前のイソップ物語にも、次のような話があるくらいですから、これは永遠のテーマかもしれません。

全財産を金塊に換え、人里離れた所に埋めた男がいた。


しかし、盗まれていないだろうか、と不安でならない。
結局、彼は、こっそり通って掘り返し、無事を確認するのが日課になっていた。


その行動に不審を抱いた近所の悪党が、男の後をつけて、秘密を知ってしまったのである。


次の日、いつものようにやってきた男は、卒倒せんばかりに驚いた。
隠し場所が暴かれ、すべての金塊が盗まれているではないか。


彼は、髪の毛をかきむしり、「もう、生きる希望もない」と、いつまでも悲嘆に暮れている。


ある人が、言った。


「そんなに悲しむのはよしなさい。あなたは、実際は、お金を持っていなかったのと同じなのですから……。お金は、使うためにあるのです。お金があった時も、使わずにしまっておいたじゃないですか。


使わない金塊なら石と同じです。同じ場所に石を埋めて、金だと思ってはどうですか」


    (『こころの朝』より)


人間にとって、一番のつらさは、「お金がないこと」でしょう。
お金がなければ、食べることもできず、寝る場所もなくなります。
医者にもかかれません。
みじめです。


でも、お金を「ためること」が目的になってしまっては、苦しみはなくなりません。
あればあるほど、「盗まれないだろうか」「だまされないだろうか」の不安が多くなります。


その点、「使わないお金なら石と同じ」とは、なんて鋭い指摘でしょうか。
何のためにお金を使うのか、その目的が抜けていると、人生の最期は、必ず寂しい結末になることを、イソップは予告しているのではないでしょうか。


こころの朝

木村耕一編著

定価 1,575円(税込)

(本体1,500円)

四六判上製 296ページ

ISBN4-925253-18-2

http://www.10000nen.com/?p=592 


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