三国志(11)玄徳の母が、どうしても息子に伝えたかったこと。それは、心の折れない、ブレない生き方を貫く秘訣だった

こんにちは、木村耕一です。


吉川英治の『三国志』を読んでいると、玄徳の母の強さ、偉大さに、心を打たれます。
この母なくして、後世に名を残す玄徳は、育たなかったでしょう。


また、玄徳の母に、自分の母の姿が重なり、読みながら涙を流してしまう人が多いのではないでしょうか。


そんな母の愛の深さを示す場面を、一部ですが紹介します。


劉備玄徳、関羽張飛の3人が、義勇軍を結成して、母のもとを旅立ってから3年後のこと。
思い通りにはいかず、玄徳は失意にくれていました。


そんな時は、優しい母の姿がまぶたに浮かびます。
ある夜、玄徳は一人で、郷里の母のもとを訪ねました。

 老母は、驚いた顔して、玄徳のすがたをじっと見て、
「……阿備か」
と、いった。


「長い間、お便りもろくにせず、定めし何かとご不自由でございましたでしょう。陣中、心にまかせず、転戦からまた転戦と、戦に暮れておりましたために」


子の言葉をさえぎるように、
「阿備。…そしておまえはいったい、なにしに帰ってきたのですか」


「はい」
 玄徳は地に面を伏せて、
「まだ志も達せず、晴れて母上にお目にかかる時機でもありませんが、そっとひと目、ご無事なお顔を見に戻ってまいりました」


老母の眼は明らかにうるんでみえた。髪もわずかのうちに梨の花を盛ったように雪白になっていた。


しかし、以前に変わらないものは、子に対してじっと向ける瞳の大きな愛と峻厳な強さであった。


こぼれ落ちそうな涙をもこらえて、老母は、静かにいうのだった。
「阿備……」
「はい」
「それだけで、そなたはこの家へ帰っておいでなのかえ」
「え。……ええ」
「それだけで」


思いのほか母の不機嫌な気色なのである。
それも、自分を励まして下さるためと、劉玄徳は、かえって大きな愛の下に泣きぬれてしまった。


母は、その子を、大地に見ながら、なお叱っていった。


「まだおまえが郷土を出てから、わずか2年か3年ではないか。
貧しい武器と、訓練もない郷兵を集めて、この広い天下の騒乱の中へ打って出たおまえが、たった3年やそこらで、功を遂げ名をあげて戻ってこようなどと……そんな夢みたいなことを母は考えて待っておりはしない。
……世の中というものはそんな単純ではありません」


「母上。……玄徳のあやまりでございました。
どこへ行っても、自分の正義は通らず、戦っても戦っても、なんのために戦ったのか、この頃、ふと失意のあまり疑いを抱いたりして」


「戦に勝つことは、強い豪傑ならば、誰でもすることです。
 そういう正しい道のさまたげにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打ち克たなければ、所詮、大事は成し遂げられるものではあるまいが」


「……そうです」


「ようく。お分かりであろう。……もうそなたも30に近い男児。それくらいなことは」


玄徳は、母のたもとにすがって、
「悪うござりました。もう決して女々しい心はもちません。あしたの朝は、夜の明けぬうちにここを去りますから、どうかたた一晩だけお側において下さいまし」


「…………」
老母も、くずれるように、地へ膝をついた。
そして、玄徳の体を、そっと抱いて、白髪の鬢(びん)をふるわせながらささやいた。


「阿備や……。だが、わたしはね、亡きお父さんの代わりにもなっていうのだよ。今のは、お父さまの声だよ。お叱りだよ。……あしたの朝は、近所の人目にかからないように、暗いうちに立っておくれね」


そういうと、老母はいそいそいそと母屋(おもや)のほうへ立ち去った。
間もなく、厨(くりや)のほうから、夕餉(ゆうげ)を炊(かし)ぐ煙が這ってきた。失意の子のために、母はなにか温かい物でも夕餉にと煮炊きしているらしいのであった。


  (吉川英治三国志』1)


玄徳はやがて30歳、数多くの兵を指揮する立派な大人です。


しかし、母にとって、子供は何歳になっても子供。
大きな愛で導いています。
母が息子に伝えたかったことは、次の2つです。


(1)世の中は単純ではない。


早く成功して、母親を安心させたいと、玄徳は焦っています。
しかし母は
「世の中というものはそんな単純ではありません」
と言って、息子の甘い考えを正します。
「単純ではない」とは、どういうことなのか。
その答えは、玄徳の言葉の中にあります。


「どこへ行っても、自分の正義が通らず……」


ここで、ストレートに「正義」ではなく、「自分の正義」と言っているところに注目しましょう。
世の中、一人一人、正しいと思ってることには違いがあります。
だから意見が対立し、争いが起きるのです。
ぶつかっている双方に、「自分は正しい」という正義、理屈、主義、主張があるのです。
一人一人が「自分の正義」を持って集まっているのが、世の中なのですから、簡単にまとまるはずがありません。


それなのに、「なんで分かってくれないのか」といって、嘆いたり、怒ったりしていたのでは、孤立するだけです。
周囲に理解してもらう努力を怠ってはなりません。
他人の言葉に耳を傾けて反省していく謙虚さが必要です。
まず、このことを自覚しなければ、世の中を生きていけないことを、厳しく教えているのです。



(2)大事(目的)を常に忘れるな。


母は息子に諭します。
「時々襲ってくる弱い心に打ち勝たなければ、大事(目的)は成し遂げられない」と。


母は、息子の心が折れそうになっていることを感じたので、ここで、
「そんなことでは、大事(目的)は成し遂げられないぞ」
と戒めたのです。


世の中は単純でないから、人生に困難は、山ほどあります。
しかし、どんな困難にぶつかっても、心が折れない方法があるのです。


それが、人生の目的をハッキリと持ち、すべての苦労は、このためにある!と、心の向きを一つに定めることです。
人生で、果たすべき目的がハッキリしてこそ、ブレない生き方を貫けるようになるのです。


玄徳の母は、戦乱の時代を生きていく息子に、大切な心得を、必死に伝えようとしています。
その愛情の大きさに、心が打たれます。


三国志』は、今から約1800年前のドラマですが、子を思う親の気持ちは、昔も今も変わりません。


8月初めに、新装版『親のこころ2』を発売しました。
玄徳の母と同じように、海よりも深く、山よりも高い親の愛情を、歴史上のエピソードと、全国から募集した85人の体験談でつづった新刊です。
ぜひ、一度、ごらんになってください。



新装版 親のこころ2
木村耕一編著
定価 1050円(税込)
(本体1000円)
四六判 240ページ
978‐4‐925253‐61‐1
http://www.10000nen.com/?p=8612


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