三国志(10)本気で恋をささやく劉備玄徳に、2人を引き裂く事態が……。恋愛をとるか、人生の目的をとるか。

こんにちは、木村耕一です。


恋愛をとるか、大志(人生の目的)をとるか、その決断を迫られたら、どうしますか。


三国志』の劉備玄徳も、恋におちました。
それは、誠意を尽くして戦っても認められず、失意に暮れ、ある大地主の屋敷にかくまわている時でした。
その家に、美しい女性がいたのです。
名を芙蓉(ふよう)といいます。


月の鮮やかな夜のこと。
芙蓉は、人目を忍びながら、広い庭園へ出て行きました。
足もとの芝生には、夜露が宝石をまいたように光っています。

 

すると梨の花の小道から、1人の人影が忽然と立ち上がった。それは花の中に隠れていた若い男性であった。
「オ。玄徳さま」
「芙蓉どの」
ふたりは顔を見あわせてニコと笑みを交わした。芙蓉の歯が実に美しかった。
相寄って、
「よく出られましたね」
玄徳がいう。
「ええ」
芙蓉は、さしうつ向く。
そして梨畑のほうへ、ふたりは背を擁しながら歩み出して、
「こうして庭へ出てくるにも、ずいぶん苦心して来るんですの」
「そうでしょう。私も、関羽だの張飛だのという腹心の者が、同じ室にいて、眼を光らしているので、彼らにかくれて出てくるのも、なかなか容易ではありません」
「なぜでしょうね」
「何がですか」
「そんなにお互いに苦労しながらも、夜になると、どうしてもここへ出てきたいのは」
「私もそうです。自分の気持ちが不思議でなりません」
「美しい月ですこと」
「夏や秋の、さえた頃よりも、今頃がいいですね。
夢みているようで」
梨の花から梨の花の小道をさまよって、2人は飽くことを知らぬげであった。夢みようと意識しながら、あえて、夢を追っているふうであった。
   (吉川英治三国志』1)

2人の恋を、
「夢みようと意識しながら、あえて、夢を追っているふうであった」
とは、鋭い表現ですね。


吉川英治は、「恋は永遠」などと、現実にありえないことは書きません。
恋も、はかない夢なのです。
人は、心の底で、そう感じているからこそ、今の一瞬だけでも、とろけるような幸せにひたりたいと、恋に身を焦がすのではないでしょうか。
それはまるで、現実から夢の中へ逃避しようとしている姿にも見えます。


関羽は、2人が逢い引きしているのを、目撃してしまいました。
そして、非常に驚き、
「志を得ぬ鬱勃(うつぼつ)を、そういうほうへ誤魔化しはじめると、人間もおしまいだな……」
と嘆きます。


これは、恋愛が悪いと言っているのではありません。
自分たち3人は、どんな困難があろうとも、一つの目的に向かって進むことを誓った仲です。
それなのに、盟主にあたる玄徳が、その目的を忘れて、思い通りにならない空しさ、鬱憤(うっぷん)を、恋でごまかそうとしているとしたら、あまりにも情けないと思ったのです。


ですから、人生の目的を忘れて、酒にひたったり、遊びに没頭したりするのも同じことです。


では、玄徳は本当に目的を忘れて夢を追っていたのでしょうか。


まもなく玄徳、関羽張飛の3人に、この屋敷から出て行かねばならない緊急事態が起きました。
玄徳は、キッパリと、
「立ち退こう」
と言います。


関羽は思い切って、玄徳に尋ねます。
「お名残り惜しくはありませんか、この家の深窓の佳人に」


玄徳は正直に答えます。
「恋をささやいている間は、恥ずかしいが、わしは本気で恋をささやいているよ。女を欺けない、また自分も欺けない。
だが、両君。乞う、安んじてくれたまえ。玄徳はそれだけが全部にはなりきれない。恋のささやきもひとときの間だ。すぐにわれに返る。なんで大志を失おうや」


玄徳は、二者択一を迫られた時には、我が人生で果たすべき目的を基準に、毅然とした態度をとりました。
この心がけがあったからこそ、30数年の苦難を経て、蜀の国家を樹立し初代皇帝になったのです。


では、芙蓉はどうなったのか。
この、突然の別れから5〜6年後、玄徳は芙蓉を迎えに来ました。
彼女がじっと待っていたのは、恋の語らいの中にも、玄徳は自らの大志を彼女に語っていたからに違いありません。
目的をしっかりと持って突き進む男は、頼もしく思えるのではないでしょうか。


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