こんにちは、木村耕一です。
「世の中は、そう簡単ではないよ」
関羽の言葉です。
なにか、意味深ですね。
世の中とは、そんなに複雑なのでしょうか。
1800年前の中国。
各地で反乱が起き、民衆を苦しめていました。
劉備、関羽、張飛が、わき起こる正義感から義勇軍をつくり、戦いに出て行くと、第1戦、第2戦は順調に勝利しました。
さすが、関羽、張飛は、ずば抜けた武将です。
張飛は、
「このぶんなら、五十州や百州の賊軍ぐらいは、半年の間に片づいてしまうだろう。天下はまたたく間に、安眠楽土の世となるに決まっている。愉快だな」
と、単純に喜びます。
そこで、関羽が、
「ばかをいえ」
と首をふって、
「世の中は、そう簡単ではないよ。いつも戦はこんな調子だと思うと、大まちがいだぞ」
といさめるのです。
では、「世の中」の現実とは?
政府軍が苦戦している地域へ、劉備らの義勇軍が応援にかけつけると、司令官は、喜ぶどころか、
「どこで雇われた雑軍だ。まあ、せいぜい働きたまえ。手柄をたてれば、恩賞をもらえるかもしれんな」
と、冷淡な応対をします。
張飛は、
「ばかにしておる」
と怒りますが、司令官に文句を言ってもしかたがありません。
それならばと、劉備、関羽、張飛の軍勢は奮起します。
賊軍に向かって夜襲を決行し、火攻めによって大戦果をあげたのでした。
政府軍が何十日も苦戦していた賊軍を、みすぼらしい装備の義勇軍が、一晩で破ってしまったのです。
「あの司令官も我々を見直すだろう」
と、3人は自負していたに違いありません。
ところが、この司令官は、自分のメンツをつぶされたとしか思いませんでした。
「せっかく、この地にまとまっていた賊軍が、お前達のせいで、各地へ四散してしまったではないか」
と、意地悪く言います。
「よく戦ってくれた」というような、ねぎらいの言葉は全くなく、
「ここはもうよいから、他の地方へ応援にゆけ」という命令を出したのです。
張飛は、怒りました。
「え、すぐにここを立てというのか」
むっとした顔色になり、
「けしからんさただ。昨夜から悪戦苦闘してくれた部下にだって、気の毒で、そんなことが言えるものか」
と激高し、剣をもって司令官の所へ殴り込もうとします。
「ここで腹を立てたら、せっかく、官軍へ協力した意義も武功も、みな水泡に帰してしまう。
黙ってわれわれが国事に尽くしていれば、いつか誠意は天聴にも達するだろう。
眼前の利欲に怒るのは小人の業(わざ)だ。
われわれは、もっと高い理想に向かって起つはずじゃないか」
(吉川英治『三国志』1)
「でも癪(しゃく)にさわる」
張飛は、言うことをききません。
関羽は、さらに、
「感情に負けるな」
と、なだめます。
劉備に向かっても、
「お腹も立ちましょうが、戦場も世の中の一部です。
広い世の中としてみればこんなことはありがちでしょう。
即刻、この地を引き揚げましょう」
と、関羽は促すのでした。
吉川英治は、名文でつづります。
義はあっても、官爵(かんしゃく)はない。
勇はあっても、官旗を持たない。きのうは西に戦い。
きょうは東へ。
張飛は、いつまでも、
「およそ嫌なものは、官爵(かんしゃく)を誇って、朝廷のご威光を、自分の偉さみたいに、思い上がっている奴だ」
と文句を言っています。
張飛のように、怒りたくなることは、誰にでもあると思います。
様々な矛盾にぶつかって、途方に暮れることもあるでしょう。
だからといって、
「理不尽だ」
「世の中が、おかしい!」
と、怒りにまかせて行動してしまっては、何の解決にもなりません。
関羽が、
「ここで腹を立てたら、みな水泡に帰してしまうぞ!」
といさめているように、自滅するだけです。
「感情に負けるな」
と、関羽が繰り返し諭しているように、暴力で、はむかってもダメなのです。
正義の味方のウルトラマンが、悪い怪獣をやっつけて、地球を救うというような単純で、簡単な図式は、現実の世の中にはないのです。
世の中とは、なんぞや?
世の中を形成している「人間」とはなんぞや?
こんな深くて、現代に共通するテーマが、『三国志』の根底に流れているのです。
なかなか勉強になる、おもしろい物語であります。
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