三国志(6)「戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが危険が多い」不愉快な思いをしたときに、どうすべきか

こんにちは、木村耕一です。


「戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」


世間知らずで、理想に燃える20代の劉備へ、恩師からの訓戒です。


矢が飛び交い、剣で斬り合う戦場よりも、平和な時のほうが危険が多いとは、どういうことでしょうか。


ある日、劉備関羽張飛らの義勇軍は、罪人を護送する官軍に出会いました。
大きな鉄格子の檻(おり)を引いています。
中には、一人の男が入れられていました。
劉備は、てっきり、賊軍の首謀者が捕まったのだろうと思っていました。


ところが、檻の中の人物は、劉備の恩師にあたる盧植(ろしょく)将軍ではありませんか。
つい先日まで、5万人の官軍の司令官だったはずです。
戦いの最中に、味方が、味方を捕らえるとは、どういうことでしょうか。


劉備は、檻のそばへかけよって、
「先生、先生、いったい、どうなされたのですか」
と叫びます。
膝をまげて、顔をうめていた盧植は、無念の涙を流しながら、次のように語りました。


「都から勅使として左豊(さほう)という者が戦況の検分に来たのだ。
しかし、世事に疎(うと)いわしは、あまりに真面目すぎて、他の将軍連のように、左豊に献物を贈らなかった。
……するとあつかましい左豊は、我に賄賂をあたえよと、自分の口から求めてきた。しかし、陣中にある金銀は、みなこれ公金である。役人に贈る財物など、何であろうか。わしは、真っ正直に断った」


「……なるほど」


「すると、左豊は、盧植はわれを恥かしめたりと、ひどく恨んで帰ったそうだが、間もなく、身に覚えない罪名のもとに、軍職を剥奪されて、こんな浅ましい姿をさらすことになってしもうた。
今思えば、わしもあまり一徹であった……」


権力を持った男から、賄賂を要求された……。
それを断ったために、無実の罪で捕らえられた……。
この時代、ひどいことが、まかり通っていたものです。


しかし、「賄賂」とは極端な例ですが、地位や権力を持った者が、偉そうに振る舞ったり、無茶なことを言ったりすることは、いつの時代にもあることではないでしょうか。


では、実際に、不愉快な思いをしたときに、どう対処するのがいいのでしょうか。


盧植劉備に語った言葉の中に、ヒントがあります。


「世事に疎いわしは、あまりに真面目すぎて……」
「真っ正直に断った」
「今思えば、わしもあまり一徹であった」
「われを恥かしめたりと、ひどく恨んで帰ったそうだ」


悪に迎合してはなりません。
しかし、もう少し言い方に気をつけて、その場を無難に回避する方法がなかっただろうか、と、盧植は反省しているのです。


盧植は、相手が「恥をかかされた」と感じる言い方をしたため、恨まれて、報復を受けたのです。


「恥をかかされた」という思いは、激しい怒りのもとになります。
だから、いくら正しいことでも、ズケズケと言って相手の怒りを爆発させてしまうと、甚大な被害を受けることを覚悟しておかねばなりません。


相手に「恥をかかせない」言い方を工夫することが、重要なポイントになります。


涙にくれる盧植を、劉備は次のように励まします。


「先生、ご胸中はお察しいたしますが、いかに世が末になっても、罪なき者が罰せられて、悪人がほしいままに、栄耀を全うすることはありません。
日月も雲におおわれ、山も霧におおわれて、真の形を現さない時もあります。そのうちに冤罪(えんざい)はぬぐわれて、また祝しあう日もありましょう。
どうか時節をお待ちください。
お体を大切に、恥をしのんで、じっとここは、ご辛抱ください」


劉備が言ったように、戦争が終わった後に、盧植は冤罪が晴れ、元の職についています。賄賂を要求した高官は、不祥事を起こして失脚しています。


目の前のことだけ見ると、理不尽に思えることもあります。
しかし、まいたタネは必ずはえのです。
よい行為はよい結果を、悪い行為は悪い結果を引き起こします。
5年、10年、20年というスパンでながめると、すべて自業自得であることが見えてきます。
これを仏教では、「善因善果、悪因悪果、自因自果」と教えられています。


不幸や災難にみまわれたら、いたずらに嘆いたり、投げやりになるのではなく、その時点から、明日に向かって、よい行いをしていけば、必ず未来が開けてくるはずです。


われに返った盧植は、劉備に、次のような戒めを与えます。


「わしの如き老年になっても、まだ悪人の策におち、生き恥をさらすような不覚をするのだ。
おまえたちは、ことに年も若いし、世の経験に浅い身だ。
くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危ないぞ。
戦を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」


これも深いアドバイスですね。
世の中を、生きるということは、大変なことです。
 

「世の中」とは、なんぞや。
「人間」とは、なんぞや。
三国志』の冒頭で、繰り返し問われています。


この点が、明らかにならないと、本当の意味で世の中は変わりませんし、真の平和もこないからです。


吉川英治が、『三国志』を新聞に連載したのは、ちょうど第2次世界大戦の真っ最中でした。
悲惨な戦争に突入していく日本をみつめながら、
「人間とは、なんぞや」
の不可解なテーマを、『三国志』にぶつけていたような気がします。


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