三国志(8)腹立たしいこと、イヤなことを、さらりと流して、心を軽くするには。劉備玄徳の心得

こんにちは、木村耕一です。


誰かにイヤなことを言われて、カッとなることがあります。
それを、いつまでも心の中に引きずって、神経を消耗したり、つらくなることもあります。


そんな時、どうすれば心を軽くして、明るく生きていけるようになるのでしょうか。


吉川英治の『三国志』の中で、やはり一番の怒りん坊は、張飛ですね。


敗北して逃げてくる官軍を、劉備関羽張飛らの義勇軍が助けて、形成を逆転させたことがありました。
官軍の司令官である董卓(とうたく)は喜んで、劉備ら3人を招き、礼を言おうとします。
ところが3人は、無位無冠だと知ると、
「なんだ、私兵か、雑軍か」
と露骨に軽蔑し、同席するのも体面にかかわる、というように、さっと奥へ隠れてしまいました。


張飛の怒りが爆発したのはいうまでもありません。
「官位がなんだ。官職のない者は、人間でないように思ってやがる。
功を立てて恩賞もないのは我慢もするが、なんだ、あの軽蔑したあいさつは」
と叫び、剣を手に、董卓を殺しにいこうとします。


劉備は、そんな彼を引き止めて、次のように叱ります。


「待て。……まあ待て。……腹が立つのは貴様ばかりではない。
だが、小人の小人ぶりに、いちいち腹を立てていた日には、とても大事はなせぬぞ」
     (吉川英治三国志』1)

腹立たしいこと、イヤなことがあっても、じっと忍耐すべきなのか。
たとえどんな犠牲をはらってでも、戦うべきなのか。
その判断を、冷静にすべきだと、劉備は言っているのです。


つまり、「大事(人生の目的)」を成し遂げるのに、必要なことか、どうでもいいことなのか、という基準です。


決して、「長い物には巻かれろ」という、消極的な生き方ではありません。
張飛のように、すぐに怒って、言葉や態度に表すと、そこらじゅうで衝突事故を起こし、激しくエネルギーを消耗するだけです。
肝心なことに集中できなくなります。


人生は、一度しかないのです。
しかも短いのです。
その貴重な時間を、何に使うのか。
「人生の目的」を果たすために、大切に大切に使うべきであって、そのために必要のないことは、なるべく、さらり、さらりと流していったほうがいいのです。


なかなか難しいことですが、「人生の目的」がハッキリと心に定まれば、できるようになるはずです。


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