山形県、国字四書の由来「お母様、それほどまでにして、私をお育てくださったのですか」

こんにちは、木村耕一です。


母一人で子供を育てる苦労は、想像できないほどだと思います。
山形県には、そんな母親の愛の大きさを示す、感動的な物語が伝わっています。


江戸時代末期、米沢藩に、20歳で夫を亡くし、幼子を抱えて、途方に暮れる1人の女性がありました。名を黒井繁乃といいます。


彼女は、すやすや眠る赤ん坊の顔を見て、
「どんなことがあっても、この子を立派に育てあげよう」
と決心しました。


母は、昼夜を分かたず、縫い物や機織りなどの内職をして、わずかな賃金を蓄え、生計を立てていきました。


息子の信蔵が、いよいよ7歳の春を迎えたので、塾へ通わせることにしました。
当時の学問といえば、漢文の素読でした。意味が分からなくても、声に出して読ませるのです。子供には容易なことではありません。
母も、漢文を習ったことがありませんでした。


「父親のいる家ならば、父から学ぶことができるのに、信蔵が不憫でならない。それならば、まず、私が学んで、子供に教えるしかない」
と、彼女は深く決意したのです。


信蔵が塾へ行くと、後からそっと、母もついていきます。
彼女は、塾の中には入りません。
講義室の軒下にたたずんで、左手に紙を持ち、右手に筆を持って、室内から聞こえてくる先生の声に神経を集中させたのです。
先生が朗読する『論語』を、一字も聞き漏らすまいと、熱心に書き取っていきます。
雨の日も、雪の日も、欠かさず、その場所に母の姿がありました。


夜になると、信蔵は、母の前で、今日習った所を復習するのが常でした。
母は縫い物をしながら聞いていますが、子供が読み違えると、
「信蔵、先生がそのように教えてくだされたか。今一度、よく前のほうから読み直してごらんなさい」
と指摘します。


信蔵の幼い頭では、ずらりと並んだ漢字が何を意味するのか、先生からどう習ったのか、思い出せません。
母は、
「そこのところは、こうではなかったか……」
と繰り返し言って聞かせます。
「自分は本を見ながら読んでいるのに、お母様は、ちゃんとそらんじている。お母様は偉いなあ。ごまかしはできないぞ」
と、信蔵は、真剣に学ぶようになっていきました。
母の熱意が、子供を動かしたのです。


この方法で、母は、2年の間に、ついに、当時の学問の基礎であった四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を全部筆写してしまいました。


その後、藩の学校に入学した信蔵は、より一層、勉学に励みました。
13年連続して優秀な成績を収め、藩主から褒美の金銀を贈られるほどでした。これもすべて、母の家庭教育の賜物でした。


信蔵が成人してからのこと。
彼は、障子の破れた所に張られた紙に、仮名文字が書かれているのに気がつきました。よく見ると、『論語』の一節です。
「お母様、私はこれまで、国字(仮名文字)の『論語』を見たことがありませんが……」
「それは私が書いたものです……」
母は、理由を言うか言うまいか迷いました。
女手一つで貧苦と闘いながら、必死に子供を育ててきた20年間が、頭の中によみがえってきます。


「私は、おまえを立派に育てるには、まず自分が学ばねばならないと思って、先生の家の軒下へ通ったのです。先生が朗読される『論語』を、意味は分かりませんでしたが、必死で書き取りました。それを、仕事をしながら、何度も何度も読み返し、おまえとの復習の時間までには覚えておいたのです」
母は、こう言って微笑したのでした。


「お母様、それほどまでにして、私をお育てくださったのですか……。何も知らずにいた愚かさを、お許しください」
信蔵は胸が詰まり、涙が込み上げてきます。


「おまえが、一人前になってくれたのが、私には何よりもうれしいのです」
「お母様が書き取られた『論語』を、私に頂けないでしょうか。丁重に保存して家宝としたいと思います」
「とんでもない。私の無学を子孫の代まで知らせるようなものです」
最初、繁乃は拒んだが、信蔵があまりにも熱心に頼むので、まだ障子張りに使っていない紙を、すべて渡したのです。


所々に、聞き違いを訂正した個所があり、母の苦労が偲ばれます。
信蔵は、これを製本して「国字四書」と名づけました。
後に、米沢藩の重職に就いた信蔵は、事あるごとに、「国字四書」を取り出して、
「今日の自分があるのは、母の苦労があったればこそ」
と言って、感謝の心を忘れなかったといいます。




新装版 親のこころ

木村耕一編著

定価 980円(税込)

(本体933円)

四六判 192ページ

978-4-925253-51-2

http://www.10000nen.com/?p=2260



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