協調性を大切にした坂本竜馬、「排他は自滅」を示す武市半平太



こんにちは、木村耕一です。


人間が集まれば、意見や考え方が合わないことが、よくあります。
そんな時、どうしますか。
まず、相手と話し合いますね。
それでも対立が深まったら、どうしますか。


このテーマで、坂本竜馬武市半平太(たけちはんぺいた)の生き方を比較した原稿を、『まっすぐな生き方』に載せたかったのですが、締め切りに間に合いませんでした……。
ここで、簡単に記しておきましょう。




武市半平太は、土佐藩の秀才で人望もあり、竜馬の先輩でした。
幕末の混乱の中から、日本は、どうあるべきか。
武市は、自分の考えを土佐藩の上層部へ進言しますが、一切、受け入れてもらえません。
藩政の責任者・吉田東洋と、考え方が、全く違ったのです。
そこで、武市は、吉田東洋を暗殺し、藩政の実権を握りました。
また、京都にも刺客を放ち、自分たちと考え方の違う公卿や他藩の人物を、次々に暗殺していきます。
暴力や暗殺で、敵対する相手を黙らせるやり方が、長続きするはずがありません。
やがて、土佐藩に政変が起き、武市半平太は獄に入れられ、切腹して果てます。
排他は、必ず自滅を招くのです。




坂本竜馬は、武市の方針に納得がいかず、早い時期から別の道へ進みます。
剣術の腕前は、江戸の千葉道場で、北辰一刀流の免許皆伝を受けたほどの達人でした。
しかし、剣で人を殺したことはありませんでした。
新選組に襲われても、正当防衛するだけで、相手の命を奪っていません。
議論で相手を傷つけることもなく、協調性を大切にしながら、時間をかけて、皆を一つの方向へ導いていきます。
勝海舟の弟子になった話は有名ですが、そもそも勝は、竜馬が打倒しようとしている徳川幕府の、高級官僚なのです。
敵の話もじっくりと、正確に聞き、日本にとって、今、何が大切なのかを見極めたところに、竜馬の偉さがあります。
そんな竜馬だからこそ、犬猿の仲にあった薩摩藩長州藩を同盟させることに成功し、徳川幕府を倒すことができたのです。




主義、主張の違う国が激しく対立し、戦争に発展する例は、今でも、世界各地で起きています。
どんなに正当性を主張しようと、暴力に訴える以上、「天誅!」と叫ぶ幕末の暗殺団と、どこが変わるのでしょうか。


日常の人間関係においても、相手を責めたり、否定したりする言葉遣いが多くなっていないでしょうか。
それは、いつか必ず、自分への大きな負担となって返ってきます。


排他は自滅、これは、いつの時代も変わらぬ真理だと思います。