こんにちは、木村耕一です。
母からの手紙は、子供に大きな力を与えます。
日本の歴史上、最も有名な「母からの手紙」は、源信僧都のもとへ届いた手紙ではないでしょうか。
生い立ちをみてみましょう。
幼い時の名を、千菊丸といいました。
早くに父と死に別れ、母の手一つで育てられました。
千菊丸が、ある日、川原で遊んでいると、一人の僧侶が、川の水で弁当箱を洗っていたので、
「お坊さん、その水は汚いよ。あっちに、もっときれいな川があるんだよ」
と親切に教えました。
前日からの大雨で、水が濁っていたのです。
すると僧侶は、
「仏教ではな、『浄穢不二』といって、この世にきれいなものも、きたないものもないと教えられているんだよ」
と、もっともらしく言いました。
すると千菊丸、
「『浄穢不二』ならば、なぜ、洗うの?」
と問い返したのです。
素朴で、しかも鋭い反撃に、僧侶は、ぐっと詰まってしまいました。
こんな子供に言い負かされたままでは引き下がれません。
一策を思いつき、千菊丸に尋ねました。
「十まで数えられるかい」
「そんなの簡単だよ」
「じゃ、やってごらん」
「いいよ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……、九つ、十」
僧侶は、ニンマリして、
「おや、今、おかしな数え方をしたね。一つ、二つと、どれにも『つ』を付けるのに、なぜ十だけは『とお』と言って、『つ』を付けないのかな」
と、聞き返しました。
すると千菊丸、
「それは、五の時に、『いつつ』と言って、『つ』を二つ使ってしまったから、十の時には足りなくなったんだよ」
と答えるではありませんか。
僧侶は驚きました。
「こんな優秀な子を、出家させたら、必ずや偉大な僧侶になるだろう」
と思って、早速、母親に会いに行き、
「お子さんは、実に賢い。比叡山へ入れて、学問をさせたらどうでしょうか」
と勧めたのです。
子供を手離したくないのは、どの親も同じです。
しかし、千菊丸の母は、
「仏法を学ばせたほうが、この子のためにも、亡き夫のためにもなるだろう」
と考え、承諾したのでした。
母は、千菊丸に、
「立派な僧侶になるまでは、二度と帰ってきてはなりませんよ」
と言って聞かせました。
千菊丸は、名を「源信」と改めました。
母との誓いを守って、一心不乱に勉学に励んだので、次第に「比叡山に源信あり」と有名になり、宮中でも評判になりました。
ついに、時の天皇より、
「源信から、経典の講釈を聞きたい」
と、比叡山に要請があったのです。
この時、源信は15歳でした。
内裏へ赴き、天皇はじめ群臣百官に説法したのです。
天皇は、年若い源信の、堂々たる弁舌に感嘆し、褒美として、七重の御衣、香炉箱などの珍宝を与えました。
晴れの舞台で大役を果たし、名声を博した源信の喜びは、天にも昇る心地でした。
「ああ、お母様にお伝えしたら、どんなに喜んでくださるだろうか」
源信は、早速、事の始終を手紙に書き、天皇から贈られた品々と共に、郷里の母のもとへ送ったのです。
ところが、間もなく、母から、すべての荷物が、送り返されてきました。
そこには、次のような、手紙が添えられていたのです。
私は、片時も、おまえのことを忘れたことはありません。
どんなに会いたくても、やがて尊い僧侶になってくれることを楽しみにして、耐えてきたのです。それなのに、権力者に褒められたくらいで有頂天になり、地位や財物を得て喜んでいるとは情けないことです。
名誉や利益のために説法するような、似非坊主となり果てたことの口惜しさよ。
後生の一大事を解決するまでは、たとえ石の上に寝て、木の根をかじってでも、仏道を求め抜く覚悟で、山へ入ったのではなかったのか。
夢のような儚い世にあって、迷っている人間から褒められて何になりましょう。後生の一大事を解決して、仏さまに褒められる人にならねばなりません。
そして、すべての人に、後生の一大事の解決の道を伝える、尊い僧侶になってもらいたいのです。 母より
後の世を渡す橋とぞ思いしに
世渡る僧となるぞ悲しき
源信は、泣きました。
まさに徹骨の慈悲です。
迷夢から覚めた心地で、ひたすら、後生の一大事の解決を求めて、勉学に励むのでした。
それから25五年以上の歳月が流れました。
ついに、阿弥陀仏の本願によって、後生の一大事の解決を果たした源信は、
「今度こそ、お母様に喜んでいただける」
と、郷里へ向かったのです。
ところが、途中で、自分へ手紙を届けようとして急いでいる男に出会いました。
何か胸騒ぎがした源信、封を開いてみると、姉の文字でした。
「お母様は、もう70を超えられ、体が弱くなられました。ここしばらく風邪で寝込んでおられたのですが、ますます衰弱され、明日をも知れぬご容態です。そんな苦しい息の中から、源信が恋しい、源信に会いたい、と繰り返し言っておられます。どうか、少しでも早く帰ってきてください」
驚いた源信は、ひたすら我が家へ急ぎましだ。
「源信です。ただいま帰りました」
母の耳元で、そっと告げると、
「よく帰ってきてくれたのう。今生では、もう会えないかと思っていた……」
とつぶやき、顔に、生気がよみがえってきました。
源信はすでに40歳を超えています。
幼い日、比叡山に登ってから、一度も顔を見ていませんが、母は、毎日、息子が仏法者の道を踏み外さないようにと念じ続けてきたのです。
今こそ母の恩に報いなければ、の思いで、源信は、仏法を伝えるのでした。
「阿弥陀仏は、『われを信じよ。どんな苦悩をもつ者でも、この世も未来も最高無上の幸福にしてみせる。若(も)し、絶対の幸福にできなかったら、仏の生命を捨てよう』と約束なさっています。後生の一大事の解決は、阿弥陀仏の本願によらねば、決してできないのです……」
息子の説法を聴聞して、母も、阿弥陀仏に救われたと、伝えられています。
この母あって、この子あり。
源信僧都は、日本の仏教史に、大きな役割を果たす、偉大な僧侶となったのです。
新装版 親のこころ
木村耕一編著
定価 980円(税込)
(本体933円)
四六判 192ページ
978-4-925253-51-2
http://www.10000nen.com/?p=2260
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