こんにちは、木村耕一です。
佐久間象山──、幕末が舞台のドラマには、必ずと言っていいほど出てくる学者です。
これまで、傲慢で、近づき難いイメージを抱いていましたが、母親思いのエピソードを知ると親近感がわいてきました。
象山は、信州松代藩の、貧しい武士の家に生まれました。
29歳の時、江戸へ旅立つ際に、母は、村はずれまで見送り、次のように戒めています。
「おまえが一生懸命に学問して、立派な人物になってくれるのが、私の一番の喜びです。どんなに遠く離れて暮らしていても、苦にはなりません。
もし、他の者より抜きん出ることなく、平凡な成績で終わるならば、おまえが、どれほど私を養ってくれようと、うれしくはありません。この別れに臨み、私が言いたいのは、これだけです。この言葉を守らない時は、もう我が子とは思いません」
心を鬼にして激励してくれる母に、象山は泣きました。
7年前に父が亡くなっています。
母を1人で故郷に残すのは、気がかりでならなりません。母は、そんな弱い心を見抜いて、突き放してくれた、と分かるだけに泣けてくるのです。
江戸に出た彼は、塾を開いて門下生を指導しながら、多くの学者を訪ねて勉学に励みました。
有名な学者と論争しても、全く引けをとらず、1年もしないうちに、佐久間象山の名は江戸中に知れわたったのです。
やがて、幕府の海上防衛の顧問に抜擢されます。
蘭学の必要性を痛感した象山は、普通なら1年かかるところを2ヵ月で身につけました。友人が、
「佐久間という男はいつ眠るのであろう。眠ったのを見たことがない」
と驚くほど、寸暇を惜しんで勉強したのでした。
4年後の春、母が病に臥していると聞いた象山は、居ても立ってもいられなくなりました。
「軽い病気だから、心配する必要はない」
と聞いて、いったん、安心したものの、
「もしかして、本当の病状を隠しているのでは……」
と、案じられてきます。
象山は、
「悶々とするくらいなら、故郷へ帰って看病しよう」
と決断し、江戸から松代までの間を、わずか3日間で駆け抜けたのです。
家に帰ると、笑顔の母が迎えてくれました。
やはり病は軽く、すでに全快していたのでした。
このことがあってから、象山は、
「遠く離れた故郷に、母を1人残しておいては、十分に孝養を尽くせない」
と痛感し、母を江戸へ迎えました。
佐久間象山は、漢学、洋学に通じていました。原書から直接吸収した近代科学の知識は、当時の日本の、どの学者よりも優れていました。
まさに、母との誓いを果たしたと言えます。
象山の門下生には、勝海舟、坂本竜馬、吉田松陰などがいます。
幕末にリーダーシップを発揮した逸材が集まっているのも、その影響力の大きさを表しています。
開国を唱える象山は、44歳の時に、幕府に捕らえられ、獄に入れられました。
それでも象山は、
「100年後に、私の心を知る者が現れるだろう」
と言い、平気でした。
日本の未来のために、正しい道を進んでいると確信していたからです。
ただ、一緒に住んでいる老母が、どれほど心配しているかと思うと、苦しくてなりません。
その心境を、獄中で、次のように詠んでいます。
(原文)
おちこちに なくほととぎす ひとならば
ははのみことに ことづてましを(意訳)
あちこちからホトトギスの鳴き声が聞こえてくる。
もし、あのホトトギスが人であったら、私が元気でいることを、母の元へ伝えてくれるだろうに……。
息子が天下一の学者になっても、母は幼い子供を見守るように、常に案じていてくださいます。その温かい親心を思うと、申し訳なくて、象山は泣かずにおれなかったのです。
新装版 親のこころ
木村耕一編著
定価 980円(税込)
(本体933円)
四六判 192ページ
978-4-925253-51-2
http://www.10000nen.com/?p=2260
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