赤穂浪士、義憤という名の「怒り」に燃える――怒りの連鎖を、誰かが止めなければ、不幸は拡散し続ける



こんにちは、木村耕一です。


今日も、引き続き、『まっすぐな生き方』から転載いたします。5回目です。




忠臣蔵』のメッセージ5




浅野内匠頭は、落ち着いていた。
事件直後の取り調べに対して、一切、言い訳をしていない。
「上野介に、いかなる恨みがあったのか」
と問いただされても、
「何の弁明もございません。重大な不始末を犯し、恐れ入っております。このうえは、定められた処罰をお受けする以外に、お詫びの言葉もございません」
と言うだけであった。上野介の悪口は、一言も語らなかった。
りっぱである。やはり大石内蔵助ら、四十七士に慕われるほどの人物であったのだ。そんな人格者でさえ、怒りの炎に焼かれると、身を滅ぼしてしまうところに、人間の危うさがある。


吉良上野介の傷は浅かった。
しかも、尋問に対して、立て板に水を流すように答えた。
「内匠頭が、私にどんな恨みを抱いたのか、全く身に覚えはありません。今度の役目では、私が指南役として示した好意に、礼を言われる覚えこそあれ、刃物で斬りつけられるとは夢にも思いませんでした。内匠頭は、驚くべき乱暴者です。私は、場所柄をわきまえて、一切、抵抗せずに避けようとした結果、背中にまで傷を負いました。面目もございませんが、不慮の災難と申すものは、まことに避け難いものでございます……」
まさに、世渡り上手な弁舌である。
将軍・徳川綱吉は激怒した。
勅使を招いた大切な儀式を、ぶち壊されたのである。
しかも、犯人は、自らが饗応役に任命した人物であった。
怒りに燃える綱吉は、ろくに調べもせずに、浅野内匠頭に、即日、切腹を命じた。もちろん、御家断絶、赤穂5万3000石は没収である。多くの家臣が路頭に迷う結果となった。
対する吉良上野介には、何のおとがめもなし。「大切に傷の養生をするように」といたわって自宅へ帰すという寛大な処置であった。
この不公平な裁決は、綱吉の「怒り」が生み出した過ちであった。武家社会のルール「喧嘩両成敗」を、完全に無視したため、批判が続出。中でも、浅野の旧家臣が、黙って従うはずがない。


赤穂城は、騒然とした。
城代家老大石内蔵助の元に事件の第一報が届いたのは、3月19日の明け方であった。内蔵助は、藩士に総登城を命じた。
非常事態の中で、約200人の藩士を激昂させたのが、「上野介が生きている」という事実であった。
「なんと不公平な!」
「亡君の無念を晴らさずして、武士と言えるか」
「仇討ちだ!」
激しい怒りがぶつかり合う。
そもそも、この事件は、ささいなプライドを傷つけられた吉良上野介の「怒り」が発端だった。それが浅野内匠頭の「怒り」を誘い、江戸城で刃を抜かせたのだ。今また、将軍・綱吉の「怒り」が、赤穂浪士の義憤という名の「怒り」に火をつけた。
「怒り」は連鎖する。誰かが、どこかで止めなければ、不幸は拡散し続ける一方である。



まっすぐな生き方
木村耕一著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 296ページ
ISBN978-4-925253-41-3
1万年堂出版発行
http://www.10000nen.com/?p=574