吉良を「虫けら」と見下げる浅野内匠頭――心の中で、相手を切り刻む行為は、恐ろしいタネまきだ



こんにちは、木村耕一です。


今晩は、NHK「ヒストリア」で、忠臣蔵の番組を放映しますね。
昨日の続きで、『まっすぐな生き方』から転載します。




忠臣蔵』のメッセージ3




3月14日、江戸城で、将軍と勅使が対面する大事な日を迎えた。
浅野家の家臣たちは、目に涙をためて、登城前の内匠頭に進言する。


「あと3日のご辛抱でございます。何とぞ、ご堪忍あそばされますように……」
「よう言ってくれた。案じてくれるな。吉良は、取るに足らぬ俗人じゃ。人だと思うから腹が立つ。虫けらと思っているのじゃ。赤穂の城には、まだまだ多くの愛すべき家臣がいるのに、何で、吉良の老いぼれと、それとを、取り替えようぞ。分かっておる、もう言うな」


内匠頭は、上野介のことを「虫けら」と言った。
相手を見下さないと心が楽にならないのだろう。だが、これを「堪忍」とか「忍耐」と呼べるだろうか。
吉良を「虫けら」と見下げる心は、「自分だけは誠を尽くしている」と、うぬぼれている心である。そんな状態で、うまくいくはずがない。
心の中で、相手を切り刻む行為は、恐ろしいタネまきだ。
因果応報。
その悪いタネ(因)は、どんなに小さなものであっても、必ず悪い報い(果)を引き起こす。
上野介には、上野介のタネまきに応じた結果が、厳然と現れる。しかし、それは他人のこと。
重要なのは、自分のことである。確かに相手が悪い。しかし、そんな相手の言葉や態度に反応して、怒りや恨みの心を起こしたら、どうなるか。自分のまいたタネは、自分が刈り取らねばならないのだ。
内匠頭自身が、
「これ以上、怒りの心を燃やしたら、どんな悪果が現れるか分からない」
と恐れ、少しでも慎む心を持つことができていれば、浅野家、吉良家を不幸のどん底に突き落とす大悲劇は、起きなかったであろう。



まっすぐな生き方
木村耕一著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 296ページ
ISBN978-4-925253-41-3
1万年堂出版発行
http://www.10000nen.com/?p=574