『思いやりのこころ』の内容を1話、ご紹介します。

第1章(5)秀吉は、なぜ好かれたのか

「ありがとう」の心を、少しでも多く、言葉や態度に表す

 いくら心で思っていても、その気持ちを、言葉や態度に表す努力をしなければ、なかなか、相手に伝わるものではない。

 その点、秀吉はうまかった。オーバーなくらいに表現している。

 信長の命で播磨から但馬一円を平定し、安土城へ戦勝報告に来た時のことである。

 あいにく信長は三河へ出掛けて留守だったが、格別な褒美が用意されていた。信長秘蔵の茶釜であり、「乙御前ノ釜」という名器である。留守番から、この茶釜を受け取った時、秀吉は、どれほど喜んだか……。

 司馬遼太郎は『新史太閤記』の中に、次のように描いている。



 藤吉郎(秀吉)は膝をすすめて拝見し、

 「やあ、わしにこの乙御前を」

 と、うれしげにさけんだ。やがてするりと立ちあがり、乙御前を小脇に

 抱き――ずいぶんと重かったが――右手をたかだかとあげてひとさし舞

 を舞った。諸事、物よろこびのはげしい男である。というより、ひとか

 ら好意をうけたとき、思いきってよろこぶのがこの小男の流儀であった。

 「やれ、羽柴殿(秀吉)のおかしさよ」

 と、安土城の留守番たちはこの無邪気なよろこびように好意をもった。


 こんな様子を留守番から報告を受けたら、信長は、膝を打ち、手をたたいて喜ぶに違いない。

「また、何かしてやろう」という気持ちが自然とわいてくる。

 普段から秀吉は、うれしいことがあったら率直に表現するようにしていた。それが、周囲の人々からかわいがられ、信用される基となり、戦国乱世を生き抜く大きな力となっていったのだ。



 見え透いたお世辞は逆効果だが、「ありがとう」と心から言われて怒る人はいないだろう。

 何かをプレゼントした時、相手が、本当にうれしそうにしてくれると、こちらの心も幸せになる。

 母親や妻が作ってくれた食事でも、当たり前のように黙って食べるよりも、「おいしいね」の一言が、どれだけ喜ばれるか分からない。

 感謝の心を、少しでも多く、言葉や態度に表す努力をすることは、人間関係を保つうえでも大切なことである。


<引用文献>司馬遼太郎『新史太閤記』前、新潮社、1968年