前半の続き
第1章(1)日本とトルコを結ぶ絆
エルトゥールル号の遭難
温かい心遣いは、百年の時を超えて語り継がれた
1985年3月17日。
イラン・イラク戦争が激化する中、突然、当時のイラク大統領サダム・フセインが、
「イラン上空を飛行するすべての航空機を、2日後から攻撃する」
と発表した。
無謀な宣告に、生命の危機を感じたのは、イランの首都に滞在している日本人約500名であった。このままイランに残っていると戦争に巻き込まれる可能性が高い。少しでも早く国外へ脱出する必要がある。かといって、一方的に指定された時間内に乗れる飛行機が、どれだけあるというのか。
緊急事態なので、どの航空会社も、まず自国の国民から先に座席を埋めていく。日本の航空会社はイランへ就航していないので、日本人を優先して脱出させてくれる航空機は1機もないのだ。
翌18日、空港に詰めかけた日本人のうち、かろうじて座席を確保できたのは約半数だった。
あと1日しかない。
だが、ついに日本からは、救援機が来なかった。
「外務省の対処が遅れたためだ」とか、「日本航空が、安全の確保ができないと言って断った」とか、いろいろいわれているが、結果として、日本人二百数十名が、危険な場所に置き去りにされたのだった。
その時である。
トルコ航空機が危険を冒してイランへ乗り入れ、空港で途方に暮れていた日本人全員を救助したのだ。まさに間一髪であった。
なぜ、日本政府さえ躊躇した危険な場所へ、トルコが救援機を飛ばしたのか。その大きな理由は、約100年前の「エルトゥールル号の遭難」であった。
痛ましい事故ではあったが、トルコの人たちは、日本人から受けた温かい心遣いを忘れることができなかった。歴史の教科書にも掲載され、子供でさえ知らない者はないほど重要な出来事として、語り継がれてきたという。
「情けは人のためならず」ということわざがある。
「どんな時でも、人が困っている時には親切にしよう。それは、巡り巡って自分のためになるのだから」
という意味である。世界じゅうの人が、このように心掛けることができれば、どんなに住みよい世の中になるだろう。