「美しき鐘の声 平家物語」第2巻を発売

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の執筆に取り組んでいます、ようやく『平家物語』の第2巻を発売することができました。
◎タイトル
  美しき鐘の声
    平家物語2 ~春の夜の夢のごとし~

 第2巻では、平家打倒を目指した「以仁王の乱」から、平清盛が熱病で亡くなるまでを描きました。

 第2巻の中で、グッと心に迫る言葉を二つ紹介します。

平清盛
「年老いてから、子を亡くすのは、枯れ木に枝がないのと同じである。いかに寂しいか、分かるか」
 清盛は、長男に先立たれたことに、とても大きなショックを受けます。『平家物語』には、親子、夫婦、家族の愛情、絆が感動的に描かれています。日本人が大切にしてきた心が、ここにあります。

◆大納言実国
「世界は、こんなに広いのに、自分の居場所は、どこにもないじゃないか。一生は、あっという間なのに、今日の一日さえ、つらくてしかたがない」
 清盛に迫害された貴族の嘆きです。これは、『平家物語』に登場する全ての人物に共通する思いであり、現代の私たちと通じ合うものがあります。果たして、800年前の日本人は、どう生きたのか……。

 意訳で楽しむ『平家物語』は、9月末発売の第3巻で完結します。

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平家物語』第1巻、第2巻

 

『方丈記』の著者・鴨長明は、一流のミュージシャンだった

 こんにちは、木村耕一です。

 「意訳で楽しむ古典シリーズ」として、『徒然草』に続き、『方丈記』を発売しました。
 タイトルは、『こころに響く方丈記〜鴨長明さんの弾き語り』です。

 鴨長明というと、なぜか、地味で、暗いイメージがありますが、実は、一流のミュージシャンだったのです。琵琶、琴の演奏にかけては、抜群の才能を発揮しています。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
方丈記』の、この書き出しは、あまりにも有名です。とてもリズミカルです。
 おそらく、鴨長明さんは、ギターをひくように、琵琶を奏でながら『方丈記』を書いていったんでしょうね。

 文豪・夏目漱石も、大きな影響を受けているほど、『方丈記』の文体は美しいのです。

スティーブ・ジョブズも『徒然草』を仕事の指針にしていた

こんにちは、木村耕一です。


徒然草』は、兼好法師が亡くなって、300年もたってから、江戸時代の天才的な編集者の目に留まります。彼は、「いつの時代にも共通する素晴らしいメッセージだ」と直感。兼好法師の原稿に解説を加え、新たに編集して発売したところ、大ベストセラーとなったのです。
江戸時代から始まった『徒然草』ブームは、今も続いています。
日本人に最も親しまれている古典の一つであり、『徒然草』を題材とした人生論、ビジネス書、マンガなどが、実に多く発刊されています。
日本だけではありません。私がブラジルへ行った時、書店で、ポルトガル語に翻訳された『徒然草』を見つけ、驚きました。海外でも、読まれているのです。
アメリカで、アップルコンピュータ社を設立し、革新的な事業で大成功したスティーブ・ジョブズは、若い時から日本文化が大好きでした。仕事の進め方、信念を語る言葉の中に、まさに『徒然草』そのまま、といえるメッセージがあります。彼も、英訳で読み、仕事の原動力にしていたに違いありません。
ジョブズが感動した兼好法師の言葉の一つが、下記だと思われます。

もし、未来が分かる人が来て、
「おまえの命は、明日、必ずなくなるであろう」
と知らせてくれたら、どうしますか。
さて、今日一日、いつもと同じことに、せっせと取り組むことができるでしょうか。(徒然草 第108段)

このように世界的にも影響を与えている『徒然草』を、古典の名著と位置づけ、「古文は苦手だな」と、一歩引いて眺めていては、もったいないではありませんか。
そこで、誰もが、生き方を見つめるヒント集として、気楽に読める形にしておきたい、と思い立ち、現代の私たちに元気、勇気を与えてくれるところを選んで意訳したのが、『こころ彩る徒然草』です。


新刊『こころ彩る徒然草〜兼好さんと、お茶をいっぷく』を発売。

 こんにちは、木村耕一です。

 8月1日に新刊を発売します。タイトルは、以下のとおりです。

 こころ彩る徒然草     兼好さんと、お茶をいっぷく
「『徒然草』といえば、学校で習ったな……」という人が多いと思います。
 日本人ならば、誰でも知っているような、有名な古典です。
 でも、その中に、私たちが、もっと明るく、もっと楽しく生きるヒントが、たくさん記されていることは、あまり知られていないのではないでしょうか。


 存命の喜び、日々に楽しまざらんや (徒然草 第九三段)


徒然草』の中で、私が、最も感動した言葉です。
 700年前の自由人、兼好法師からの
「今、生きている。この喜びを、日々、楽しもう」
というメッセージです。
「そんなこと言ったって、こんな毎日、楽しめないよ。どうしたらいいの?」という声が聞こえてきそうです。
 兼好法師は、
「確かにそうだね。でも、ちょっと心の持ち方を変えると、随分、楽になれるよ。そして、苦しみの元を突き止めて解決することが大事なんだ」
と呼びかけるように、日々、見聞きしたことを題材に、エッセーを書き始めました。今でいうブログのような感覚です。しかも文章がうまい!
 四季の移り変わり、名人に極意を尋ねるインタビュー、落語のように笑える事件……。こうした二百四十四のエッセーから『徒然草』が誕生したのです。


 新刊『こころ彩る徒然草』では、『徒然草』244段の中から、鎌倉・室町時代でなければ必要のない話題を大胆に取り除き、現代に通じるメッセージを、66選び、兼好法師が、直接、私たちに語りかけるように、分かりやすく、意訳して掲載しました。
「へえー。徒然草って、こんなに面白かったんだ!」という印象を、きっと持ってもらえると思います。
 兼好法師のストレートな指摘には、「あっ、痛い!」と、思わず声が出てしまうところもあるでしょう。
 日本人の精神を培った超ロングセラー『徒然草』、そのエッセンスを、あなたの人生に取り入れてください。

こころ彩る徒然草 兼好さんと、お茶をいっぷく

徒然草「旅に出るのは、いいものだ」

 こんにちは、木村耕一です。

 久しぶりに『徒然草』を読み始めました。
 いいことが書いてありますね。
 こんなアドバイスがあります。


どこでもいいから、
しばらく旅に出るのは、いいものだ。
心が晴れ晴れして、
生まれ変わった心地になるに違いない。(第十五段)


(原文)
いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ目さむる心ちすれ。(第十五段)

 気分がさえないとき、仕事が行き詰まったとき、なんかモヤモヤするとき、どこでもいいから、ちょっと旅に出ると、新鮮な気持ちに生まれ変わると思います。
 七百年前の兼好法師も、今の私たちと、同じような気持ちだったのですね。

生きる力がわく故事成語を集めていきます

 こんにちは、木村耕一です。

「一炊の夢」「愚公山を移す」「蛍雪の功」など、中国の故事成語のエピソードを、これまで『こころの道』や『こころの朝』などに書いてきました。
 故事成語といっても、その数は、数千もあります。
 小学生向けの参考書でさえ、数百も載っています。
 
 故事成語には、一つ一つに、その言葉が生まれた背景があります。
 苦労して成功したり、調子にのって失敗したりした教訓が、短い言葉になって表されたのが「故事成語」です。
 数千年前からの、人間の経験、知恵、知性の集積といってもいいと思います。
 その中には、現代の私達にもプラスになる言葉が、たくさんあります。

 たとえば、「鉄杵(てっしょ)を磨く」の由来は、次の通りです。


 中国の唐の時代に、李白という青年がいた。
 ある山で、詩や文章の勉学に励んでいたが、途中でイヤになって投げ出してしまった。
 帰ろうとして、小川を渡った時、鉄製の大きな棒を、一心不乱に磨いている女性に出会った。臼(うす)で穀物をつく時に使う杵(きね)の一部らしい。
 不審に思った李白が尋ねた。
「なぜ、そんな鉄の棒を磨いているのですか」
「どんどん小さくして、一本の針を作ろうと思っているのです」
 驚くより、あきれてしまった李白
「そんな太い鉄の棒を、いくら磨いても細くはならないでしょう。まして、布を縫う時に使う針など、作れるはずがない!」
 しかし、彼女は、静かに答えた。
「やってもいないのに、どうして分かるのですか。この世には、一生懸命にやって、できないことは、一つもないと思います」

 この言葉に感動した李白は、再び、山への道を引き返し、勉学に励む決意をしたという。

 以後、幾多の困難に直面したが、「鉄の棒を磨いて針を作る苦労に比べれば、これくらいは苦労とはいえない」と奮起し、努力を続けたのであった。

 李白は、詩人として大成する。
 自由奔放でスケールの大きい作品は、高く評価された。後世の人々から「詩仙」と呼ばれて、杜甫白居易と並んで、絶賛を受けるまでになったのである。
 この李白の逸話から、「鉄杵(てっしょ)を磨く」という故事成語が生まれた。
 どんなに難しいことであっても、努力を続ければ、必ず成し遂げられるのだ。
 (木村耕一著 新装版『こころの道』より)

 このように、生きる力になったり、生きるヒントを与えてくれる故事成語を集め、その由来と教訓をまとめて、新しい本を作りたいと思います。

ふるさと「富山県」に、芥川賞作家がいたとは……

こんにちは、木村耕一です。


自分の故郷について、案外、知らないものだな……と、つくづく知らされたことがあります。


文筆家として活躍する70代の大先輩・T氏と、東京・神田で食事をしたときのことです。
「好きな作家は?」と尋ねると、T氏からは、堀田善衛(ほった よしえ)です」の答え。


どんな漢字を書くのか、男か女かも、私には、分かりませんでした。
するとT氏、
富山県の生んだ、偉大な芥川賞作家ですよ。
あなたも富山県出身でしょう。
知らないなんて、本当ですか?」


恥ずかしながら、知りませんでした。
堀田善衛富山県高岡市伏木の出身。
私も同じ高岡市生まれなのに……。


さらに驚くべきことが!


宮崎駿監督が、長編アニメの制作から引退を表明した記者会見で、「堀田善衛」の名前が出てくるではありませんか。
宮崎監督は、若い頃から堀田善衛の作品を愛読し、人生の羅針盤のように心の拠り所としてきたといいます。
自分の尊敬する日本人であり、大恩人であるとまでいいます。
これまでの作品作りで、一番影響を受けたのは堀田善衛だ、と語ったこともあります。


富山県出身者としては、やはり驚きでした。
かつて「裏日本」といわれ、なんとなく日本海側の卑屈さを、どこかに持っていた自分には、心が晴れるようでした。
東京へ出てきて、まもなく15年……。
故郷の魅力を、今一度、見つめ直してみたいと思います。


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