「高齢者の万引き逮捕、10倍に」花咲かじいさんの教訓どこへ



こんにちは、木村耕一です。


8月23日の朝日夕刊トップ記事を見て、驚きました。
東京で、万引きをして逮捕された高齢者が、20年前の10倍に急増しているのです。
警視庁は、初犯の高齢者に、
「ボランティアやレクリエーションに参加してもらい、生きがいを見つけてもらうことで再犯を思いとどまらせる狙い」
だとか。
これは、ちょっと違うのではないでしょうか。


「善いことをすれば、善い結果(幸せ)が自分に現れる。
悪いことをすれば、悪い報い(苦悩)が自分に現れる」
この、当たり前の真理が、忘れられているのです。
因果応報なのです。
警視庁は、まず、人間として、当然、守るべき規範を、厳しく、丁寧に教えるべきではないでしょうか。


日本には、高齢者が、子供に昔話を語って、人間のあるべき姿、善悪を教える習慣がありました。
私も幼いころ、祖父が、「花咲かじいさん」の話をしてくれました。布団に入って寝つくまで語ってくれました。
同じ話なのに、なぜか楽しくて、毎晩、「聞かせて」とせがんでいた記憶があります。


昔話の中にこめられた、深い教訓を、読み取ることができますか。
ここに、日本で最も有名な「花咲かじいさん」を紹介しましょう。

昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが、可愛い子犬と暮らしていた。
村では「正直爺さん」と呼ばれるほど、常に善いことをしようと努力しているお爺さんだった。
ある日、子犬が裏の畑で、急に「ワンワン」と吠え始めた。前足で土をかきながら、まるで、「ここ掘れ、ここ掘れ」と言っているようだ。
お爺さんが鍬で掘ってみると、はたして、大判小判がザクザク出てきた。
そのようすを、隣のイジワル爺さんが、しっかりと見ていた。
「俺にも、その犬を貸してくれ」
いやがる子犬を無理に連れていってしまった。

子犬は、いつまでたっても帰ってこない。
心配になったお爺さんが、隣へ見に行くと、子犬は殺されていた。
「なんで、こんなむごいことをしたんだ」
「その犬が吠えた場所を掘ったら、瓦のかけらばかりが出てきた。頭にきたから殺してやったんだ」
イジワル爺さんは、少しも悪いと思っていない。
お爺さんは、泣く泣く子犬を抱いて帰り、裏の畑へ埋めてやった。
そして墓に小さな木を一本植えておいたのであった。
翌朝、驚いたことに、その木が、もう見上げるばかりの大木に育っていた。
お爺さんは、この木を切り倒して、臼を作った。
「餅をついて子犬の墓に供えてやろう」
すると、お爺さんが杵を振り下ろすたびに、臼の中から大判小判が、チャリン、チャリンと音をたてて出てくるではないか。
すると、また、イジワル爺さんが、臼を借りに来た。

今度も、なかなか返してくれない。
隣へ見に行くと、イジワル爺さんは、苦虫をかみつぶしたような顔をして火をたいている。
「臼はどうした」
「あの臼で餅をついたら、瓦のかけらばかりが出てきた。頭にきて燃やしているところだ」
お爺さんは、臼を燃やした灰を、子犬の墓にまいてやろうと思って持ち帰った。
ところが、途中で強い風が吹き、灰が舞い上がってしまった。
するとどうだろう。冬なのに桜の木に花が咲きだしたではないか。
見る見るうちに満開になっていく。
村の近くを殿様の行列が通った。
お爺さんは、殿様に桜を見てもらおうと、木に登って、
「枯れ木に花を咲かせましょう」
と言って灰をまき始めた。
やがて、辺り一面に桜の花が咲き誇り、殿様も大喜び。
すぐに、たくさんのご褒美をくれた。
これを見たイジワル爺さん。またもや真似をしてみた。
木に登って灰をまいたのだが、花が咲くどころか、殿様の目や鼻に灰が入ったからたまらない。
家来に縛られて、泣く泣く牢屋に引かれていったのであった。
(『こころの道』より)



こころの道
木村耕一編著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 296ページ
ISBN4-925253-14-X
http://www.10000nen.com/?p=595