迷信(14)平清盛、神輿に矢を射る



こんにちは、木村耕一です。


この世で、自分の思い通りにならないのは、
賀茂川の水、双六の賽、山法師」
の3つだと嘆いたのは、平安時代白河法皇です。
自然現象やサイコロの目が自由にならないのは分かりますが、なぜ、「山法師」なのでしょうか。


「山法師」とは、比叡山延暦寺の僧兵をさします。
自分たちに都合のよい要求を通すために、日吉山王の神輿(みこし)を担いで京の都をデモ行進し、皇居へ運び入れるのです。
いわゆる強訴(ごうそ)です。
神輿(みこし)の前では、天皇すら、階を下りて地にひざまずき、礼拝しなければなりませんでした。
それほど、神輿(みこし)は、絶対的なものだったのです。


まして、武者は、一切、手出しができません。
「神輿(みこし)に矢を射ても、すべて地に落ちてしまう」
「もし矢を射る者があれば、たちどころに血ヘドを吐いて、死ぬだろう」
と、固く信じられていました。


しかし、この迷信を打ち破った男がいます。
30歳の、平清盛です。


清盛は、神輿(みこし)を担いで、都に迫る山法師の前に立ちはだかりました。
手には弓を持っています。
そして、堂々と、
「人を、悩ませ、惑わせ、苦しませる神や仏が、あろうはずがない。もしあらば、外道の用具に違いない」
と叫び、神輿(みこし)に矢を向けて、引き絞ったのです。


驚いた山法師は、
「血ヘドを吐いて死ぬぞ!」
と、さんざん罵声を浴びせます。
しかし、清盛は動じません。
ビュンと放った矢は、風を切り、神輿(みこし)の真ん中に、見事、突き刺さったではありませんか。
吉川英治は、次のように描いています。

矢は、神輿に刺さった。
清盛は、血ヘドも吐かず、なお、立っている。
迷信は、白日に破れた。
それは迷信利用の中に、生活の根拠と、伝統の特権をもっていた山門大衆が、赤裸にされたことでもあった。かれらは、狼狽と、おどろきの底へ、たたきこまれた。
しかし、祈祷のきかないことを、たれより知っていたのは、祈祷する者たちでもあった――。
(『新・平家物語』より)



これは、今から860年以上も前の出来事です。
時代を切り開く人物は、「迷信」を「迷信」と見抜く力と、因習を打ち破る勇気を、持っているように思います。