迷信(4)厄年はデタラメ、上杉鷹山の改革



こんにちは、木村耕一です。


「厄年」を気にしている人は、案外、多いのではないでしょうか。
江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)が、
「厄年は、何の根拠もないデタラメ」
と言ったエピソードを『まっすぐな生き方』に掲載したところ、読者の皆様から、多くの反響を頂きました。
鷹山は、次のように書き残しています。

「男は15・25・42・62歳、女は13・19・33歳。
これを俗に『厄年』と称し、必ず苦しみや災いが起きるという。
だから、厄年を迎えたら『祈祷して害を除かなければならない』とか、『親戚や友人が集まって祝えば凶が吉に転じる』などと言っている。
しかし、これらは何の根拠もないデタラメである。


厄年であろうと、なかろうと、人間は、いつ病気にかかったり、死んだりするか分からない。
『年』そのものに、吉凶など、あるはずがないではないか。


善を行えば幸福に恵まれ、悪を行えば災いが起きる、これは道理である。
悪を犯したり、人に危害を加えたりした者は、どれだけ祈っても、悪果を免れられるはずがない。
また善に励み、人のために尽くしている者ならば、祈らなくても幸せを得ることができるはずだ。
これは、極めて明らかなことである。


私は来年、25歳の厄年を迎える。
まず私が率先して、この悪弊を撤廃しよう。
国じゅうの、該当者の祈祷料などの総額は莫大な金額になるはずだ。この無駄遣いは、何としても防がねばならない」
(『まっすぐな生き方』より)



上杉鷹山は、迷信の撤廃に積極的でした。
長年の習慣であっても、因果関係が成立しないものは、一笑に付して捨て去っているのです。



まっすぐな生き方
木村耕一著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 296ページ
ISBN978-4-925253-41-3
1万年堂出版発行
http://www.10000nen.com/?p=574