「はじめに」より著者の言葉


「君は今まで、親の体を洗ったことがあるかね」

 ある青年が、一流企業の入社試験で、社長から、こんな質問を受けました。

「いいえ、一度もありません」と答えると、社長は、意外なことを言ったのです。

「君、すまないが明日この時間にここへ来てくれないか。それまでに、親の体を洗ってきてほしいのだが、できるか」
「はい、何でもないことです」と、青年は答えて家に帰りました。

 父親は、彼が幼い時に亡くなりました。母親は、一人で必死に働いて子供を大学まで出させたのです。彼は、「お母さんが呉服の行商から帰ったら、足を洗ってあげよう」と思い、たらいに水をくんで待っていました。

 帰宅した母親は、「足ぐらい自分で洗うよ」と言います。事情を話すと、「そんなら洗ってもらおうか」と、縁側に腰をおろしました。
「さあ、ここへ足を入れて」と、青年はたらいを持ってきます。母親は言われるとおりにしていました。

 彼は、左手で母親の足を握りました。しかし、洗うはずの右手が動きません。そのまま両手で母親の足にすがりつき、声をあげて泣いてしまったのです。

「お母さんの足が、こんなに硬くなっている……。棒のようになっている……。学生時代に毎月送ってもらっていたお金を"当たり前"のように使っていたが、これほど苦労をかけていたとは……」と知らされ、泣かずにおれなかったのです。

 翌日、青年は、社長に、
「私は、この会社を受験したおかげで、どの学校でも教えてくれなかった親の『恩』ということを、初めて知らせてもらいました。ありがとうございました」
とうれしそうに言ったそうです。


 このエピソードが、20年ほど前に花岡大学氏によって雑誌に紹介された時には、「ああ、親に申し訳ない。自分も同じだ」と強く反省させられました。しかし、情けないことに長続きせず、いつの間にか「当たり前」になり、忘れがちになってしまいます。

 今日、「親」と「子」の関係が、様々な社会問題を引き起こしています。暗い事件が続発するのも、親子の間の、大切な何かが、見失われつつあるためではないでしょうか。古今東西、変わらぬ「親のこころ」とは何か。歴史上のエピソードと読者の体験談で、つづりたいと思います。

 1万年堂出版から、「親の恩」に関する体験談を募集したところ、2000通以上もの熱いお便りが寄せられました。編集部と協力して選考を進め、本書に掲載したのは、ほんのわずかにすぎません。採用できなかったものも感動的なお話ばかりでした。ご応募いただいた皆様に、心からお礼を申し上げたいと思います。