「自分さえよければ他人はどうでもよい」という考え方では、幸せは、やってこない。地獄と極楽の違いを見学してきた男の話

こんにちは、木村耕一です。


地震、大津波、そして原発事故……。
社会不安は、高まる一方です。
こういう時に大切なのは、相手を思いやる心、周囲への心遣いではないでしょうか。


同じ環境でも、心がけ次第で、幸せにも、不幸にもなることを教えた例え話を紹介しましょう。



昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいた。
最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間であった。
食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいる。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」
と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りではないか。
それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。
「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていた。恐らく1メートル以上はあるだろう。
その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、できるはずがない。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まるのであった。


次に、男は、極楽へ向かった。
夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。
もちろん、料理は山海の珍味である。
「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」
と思いながら、ふと箸に目をやった。なんと、それは地獄と同じように1メートル以上もあるではないか。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」
男は、ますます分からなくなってしまった。


しかし、その疑問は、まもなく氷解した。
彼らは、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのである。
さも満足そうな相手は、
「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」
と、自分にも食べさせてくれる。
にこやかに会話が弾んで、実に楽しい食事風景であった。
男は、
「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」
と言って感心したという。


自分さえよければ、他人はどうでもよい、という我利我利(がりがり)の考え方では、幸せは、やってこない。
思いやりの心を大切にして、他人のためを思って行動する人は、また周囲から大切にされ、自分自身にも幸せが巡ってくるのである。
(『思いやりのこころ』より)




思いやりのこころ
木村耕一編著
定価 1,575円(税込)
(本体1,500円)
四六判上製 288ページ
ISBN978-4-925253-28-4
http://www.10000nen.com/?p=581